日本万国博覧会憧憬

2020/06/10

 あなたは大阪万博(1970年)が開催された時、生まれていましたか?

大阪万博って、そうあの鬼才・巨匠、岡本太郎氏がデザインした太陽の塔。

それがシンボルタワーとして、

まさに日本の高度経済成長の真っ直中に開催された

日本で初めての国際博覧会です。


大阪万博が開催された時、私は小学校5年生でした。

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今回は、1970年に開催された大阪万博について私の経験や時代についてお話したいと思います。


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あなたは20世紀少年(漫画、後に映画化)を読んだり、

見たりしたことがありますか?

見たことがある人はわかると思うのですが、

私は物語に設定された主人公たちと同じ年齢なのです。

物語の中では最初から最後まで大阪万博が当時の少年達にとって

如何に憧れの存在だったかわかります。

いえ、当時日本全体が万博の世界に酔っていた。

そう言っても言い過ぎではないと思います。

ではなぜ、あの国際博覧会がそこまで人々に影響を与えていたのでしょうか。

今でいうと東京ディズニーリゾートやUSJ?

それらに対する憧れの感情に似ているのでしょうか?




いえ、それ以上の存在でした。


まだまだ海外旅行が高値の花で到底外国へ行けない当時の状況。

万博は国内で体験できる外国の世界でした。

また技術で全て便利に何でも解決できる

明るい近い未来を体験できる未来都市でもありました。

斬新なデザインで設計された巨大な数々のパビリオン群と共に

大阪万博は日本全国民が一生に一度は見なくてはならない世界だったのです。

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当時私の家は会場から電車で30分のところにありました。

会期中、親類縁者がこぞって次から次へと泊まりに来ていたのを覚えています。

狭い家でしたのでみんな我が家で雑魚寝でした。

みんなそれでも文句一つ言いませんでしたね。

みんなこれから訪れるであろう万博について

ウキウキしてガイドブックや資料を読み漁っていました。

祖父や祖母までもが目を輝かせて我が家から出かけて行ったのを覚えています。



そういう私も合計14回、万博に出かけました。

近かったからですよね。

家族とも行きましたし、友達同士でも行きました。

また土曜日午後、学校から帰ってくると一人で出かけました。

お昼ご飯を家で食べて水筒とサクラパック

(フィルムがパック方式のカメラ:お年玉を貯めて買った)

を手に出かけます。

万博は午後からの割安チケットがあったのでそれを利用していました。

14回の出かけたので、ほぼすべてのパビリオンに入りましたね。

アポロ11号が持ち帰った月の石が見られるということで

当時、最も人気が高かった、アメリカ館。

入館するのに6時間待ちが普通にありました。

タイミングよく私はほとんど並ばずに2回入りました。

また2番人気のソ連館を含め、ほぼ全てのパビリオンに入りました。

そして当時流行していたパビリオンのスタンプ集めもほぼ全館制覇。

各パビリオンのパンフレットもかなりの量を持っていました。

実家を出たときに失ってしまいましたが。(残念だー!)

今それらがあれば、かなりの値打ちものですよね。



それからもう45年以上にもなります。

今後、このページでは、大阪万博を振り返りながら、

果たして、それらが描いた未来はどの程度実現したのかという視点

から考えてみたいと思います。よろしくお願いします。


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