クリスマスの約束の始まり:小田和正がカバー曲によって見せたもの

2019/10/31

2001年、記念すべき最初の「クリスマスの約束」。



途中、小田和正はある手紙を読み上げる。

それは、小田の「クリスマスの約束」への出演依頼に対する丁寧な、しかしお断りの返書であった。



その送り主、「彼」はそれまでテレビにあまり出たことがないこと。


それを理由としたお断りだった。



また、手紙には
小田和正が歌った「彼」の曲は、小田から、いやオフコースから刺激を受けて創ったこと。



小田を、オフコースをライバルとして自らが成長したことが書かれていた。


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1970年代、「彼」がかつて活動していたアパートの1Fに「オフコース・カンパニー」が入っていた。

グループ活動をある意味失敗していた「彼」にとって、オフコースというグループの存在は眩しく、そしてその美しいコーラスは羨望の的であった。


その頃、小田と「彼」は犬猿の仲と言われた。





しかし、「彼」は音声多重録音により「ひとり」で重厚な、そしてクリスマスを代表する音楽史に残る曲を書き上げることになる。




その曲とは、


そう、


「クリスマス・イブ」




その手紙の「彼」とは「山下達郎」である。




第1回となる2001年クリスマスの約束の副題は「きっと君は来ない」だった。

小田は最初から諦めていたのか・・・・・


しかし、山下達郎が魅かれたオフコースのハーモニーも、赤い鳥から多大な影響を受けたものである。




今回は「小田和正クリスマスの約束2001~2003」を通してミュージャン達がいかにお互いに刺激や影響を与え合いながら活動してきたかを見てみたい。



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クリスマスの約束の始まり



2001年、TBS「うたばん」スタッフは小田和正に出演を依頼していた。
当時、大ヒットしていたベストアルバム「LOOKING BACK2」を背景に大ヒット曲「さよなら」を番組で歌ってほしかったのである。




1970年代のフォークブームより現在まで常に音楽シーンのトップに立ち続けているこの稀有なアーティストはテレビに出ない。


スタッフがいくら交渉してもいい返事は返ってこない。
結局、小田と番組スタッフが出した結論は、「新しい形の音楽番組が作る」ということ。




「アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬すること」
をこの音楽番組のコンセプトにして、小田は7つのグループやアーティストに出演依頼の直筆の手紙を書く。




しかし全員に断られて、落ち込む番組スタッフ。
小田は一人でカバー曲を含めてクリスマスコンサートをやりきることを提案した。




結局2001年、2002年とゲストのないままクリスマスの約束は実施される。


でもこの小田の数少ないテレビ出演番組は大成功を収める。




後に、
徳永英明やJUJUがカバー曲をよく披露し、アルバムをリリースしているが、当時それまで人の曲を多くカバーするようなアーティストはおらず、ましてアルバムやコンサートはあまり無かったことも大きい。



私の目にもかなり新鮮だった。
まして大ヒットが多くあるベテランの小田和正がカバーすること自体がすごいことであった。


この頃からではないか?
人の曲を歌うことにアーティスト達があまり抵抗がなくなっていったのは。





2002年 海を見ていた午後



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荒井由実(松任谷由実)のこの曲を小田は1コーラスのみ歌う。
この曲は横浜の山手、つまり小田が生まれ育った土地を織り込んでいる。


小田は刺激を受けた、「やられたっ」と感じた。
それに刺激を受けた小田は「秋の気配」(1977年11枚目のシングルとしてリリース)を作る。


2002年、小田はこの2曲を連続して歌った。



つまり、
両曲とも、海を見ている情景をモチーフにしている。



舞台と言われる
「海を見ていた午後」の山手の小さなレストラン「ドルフィン」

「秋の気配」の横浜・港の見える丘公園。

海を眺める「詩」に小田は惹きつけられたのである。



今もその情景を探して多くのファンが訪れる場所。






曲を作ってゆくスタジオ現場の魅力




私は、芸術家が作品を作ってゆく過程を見るのが好きだ。

アトリエの風景、スタジオの風景・・・・・



スタジオジブリ、宮崎駿、などテレビで取り上げられるシーンが大好きだ。

有名な作家だけでなく無名の作家でさえも。
街角で風景などをキャンバスなどに写し取っている人を見たら、私は思わず声をかけてしまう。



この点、
このクリスマスの約束は、惜しげもなく練習・準備過程、舞台裏を見せてくれるところも魅力の一つである。



この2002年には小田が様々なカバー曲を練習する姿をVTRを見せる。

17曲のダイジェストだが、この後多くのアーティストとのコラボで実現することになる。


カバーのオンパレード。
でも、中身はしっかり小田和正の曲になっている。




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2003年 ゆず小田


2001年に開始して3回目にしてやっと小田の思うクリスマスの約束になった。


それは4組のゲストとのコラボである。





ゆずと。



これも準備・練習過程がVTRで見られる。
小田がコラボ曲を作ろうと提案、出来上がったのが「クリスマスの約束」(2006年3か月間限定生産でCD化)
である。


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長年の盟友、財津和夫(チューリップ)との「青春の影」





小田が思わずいい曲だと手を止めた「木蓮の涙」を根本要(スターダスト・レビュー)と歌う。



根本の緊張をほぐそうと2人で歌ったアカペラの「今夜だけきっと」の1小節。
即席で合わせたようなノリであったが、二人のハーモニーはかなり秀逸で1小節だけでなくフルコーラスで是非聞いてみたい完成度であった。





この後、根本は小田商店の番頭的な存在として毎回出場し、「委員会バンド」の重要なメンバーとなっていく。




桜井和寿(ミスターチルドレン)と3曲をメドレー




言葉にできない〜タガタメ(Mr.Children)〜HERO(Mr.Children)


スタジオで初めて会った彼らはそれぞれの音楽観をぶつけ合う。
タガタメの詩の考え方が違ったのである。

そのままではコラボの実現が危ぶまれたが、共に曲を合わせてゆく過程で二人の音楽が溶け合い認めあってゆく姿に感動を覚えた。




若い桜井の音楽に対する真摯な姿勢を、そしてこれからを小田が目を細めて見ている姿が印象に残る。
「言葉にできない」を小田が作った時の年齢は34歳。
ほぼ同じ年頃の桜井。
彼が歌ってくれたことが小田には嬉しかったのだ。








最後に




2001,2002年と小田はスタッフのリクエストに応えて「さよなら」を歌う。

初めて4組のゲストを迎えたクリスマスの約束2003。

最後に小田和正は達成感を口にする。
彼の中に一つのピリオドが打たれたのである。


ゆずとはオリジナルコラボ曲を作った。
2001年に、最初に出演依頼した7組のうち、桜井が来てくれたこと。


様々なアーティストとの影響のもとに様々な音楽が生まれ、今日の音楽シーンができていること。

主にカバー曲を通してそれを多くの人に「クリスマスプレゼント」として届けられたこと。



彼の中でクリスマスの約束はこの2003年で終わりにしようとしていたのである。




2019小田和正クリスマスの約束で委員会バンドを今年も見たい




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